現在は、お正月休みの真っ最中なわけですが、こういう長期休暇中にはいつも考えてしまうことがあるのです。それは・・・
お金と幸福の関係について
なのです。お金と幸せの基本的な関係は「お金がないと確実に不幸になる。しかし、お金があるからといって幸せになるとは限らない」ということだと思いますが、実際のところそれを実感することがあります。
私の場合、貯金と投資によって資産は毎年確実に増加し続けているわけですが、「お金が増えた分だけ幸福度も増しているか」ということになると、全くそんなことはない、というのが実情です。私としては、お金が2倍になったら幸福度も2倍になればいいのに、と常々思うのですが、残念ながらそうはなっていないのです。
ある意味、これは悲しいことだなあ、と思ってしまうのですね・・・。
まだ貯金を始めたばかりで、ほとんどお金を持っていなかった頃は、「お金がたくさんあったらさぞかし楽しいのだろうなあ」と漠然と考えていました。そして、私はがんばって貯金に励み、1000万円貯金を達成しました。しかし、それでも「お金持ちになった」という意識はなく、「幸福感」も全くありませんでした。そこで私は考えました。
「これは、まだ手持ちのお金が少ないからだ。もっと多くなれば違うかもしれない」と思ったのです。そしてその後も少しずつ、しかし確実に資産を殖やしてきているわけですが、あるときふと気付いてしまったのです。それが最初に書いた「お金が2倍になったら幸福度も2倍になればいいのに、残念ながらそうはなっていない」ということなのです。
こういう長期休暇の時にはなおさらその想いが強くなります。例えば、いつの日かはわかりませんが、将来、私が経済的に全く不自由しない立場になって、働く必要がなくなったものと仮定します。すると「毎日が日曜日」という状態にすることも可能になるでしょう。けれど私はこう考えてしまうのです。
「お金に不自由しなくて、毎日が日曜日になったとしたら果たして本当に楽しいのだろうか?」と・・・。
私が考えた、その疑問に関する答えは、残念なことに「ノー」でした。ただ生きるだけなら、「十分な金額のお金」と「お金の管理能力」さえあれば生きていけますが、楽しく生きていくためには「生き甲斐」というものが必要です。残念なことに、お金というものは生き甲斐というものを与えてはくれないようです。仕事が終わった後のお酒はおいしいし、やっかいな仕事を完了した後の休日は楽しいものです。それは、やっぱりメリハリがあるから楽しめると思うわけです。
一方で、「ただお金を使うだけ」なら何の工夫も入りません。私も衝動買いをしたことがありますが、その経験上、衝動買いで楽しいのは「お金を使ったその瞬間」だけでした。後に残るのは、「衝動買いであるがゆえにただのゴミと化した商品」と「虚しさ」だけだったのです(余談ですが、買い物依存症というのは、この「お金を使う瞬間の楽しさ」が忘れられずに買い物に走るのでしょうね・・・。たくさん買い物をすればお店から上得意扱いしてもらえますし、金額や予算を気にしない買い物は楽しいですから・・・)。
私が、「お金が2倍になったら幸福度も2倍になればいいのに、残念ながらそうはなっていないのは悲しいことだ」と書いた理由は何かというと、「資産額と幸福度が完全に比例するのなら人生はもっと楽しくなるのに・・・」と思ってしまうからです。貯金も投資も全て順調に進んでいるにもかかわらず、ある種の虚しさを感じてしまうのもまた事実ではあります。
・・・今日の記事に明確な結論はありません。何が言いたいのかも自分ではよくわかりません。ただ、ふと思いついたことを書いてみただけです。長期休暇中にはいつもこういう想いが頭の中を駆けめぐるのです・・・。 もしかしたら、私は本当はお金を扱うことが下手なのかもしれません。そして生きることが下手なのかも・・・と思ってしまうのですね・・・。
テーマ:お金の勉強 - ジャンル:株式・投資・マネー
|