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Author:masa
1972年生まれの某中小企業勤務の独身男性サラリーマン。貧乏人からお金持ちを目指して奮闘中。貯金は手堅く、投資はリスクを小さく、というのがモットー。
なお、当ブログの更新は原則として不定期です(月に数回程度の更新になると思います)。

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貯金生活。投資生活。
「節約なくして貯金なし」「貯金なくして投資なし」を座右の銘とする管理人がお金と社会について語るブログ
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日本人が英語が苦手なシンプルな理由
日本人は英語が苦手な人が多いとよく言われます。その原因としてよく言われるのが、「文法中心の学校教育が悪い」というやつです。でも、私はこれは少し違うんじゃないかと思っています。確かに学校における英語教育にも問題は多いと思いますが、日本人に英語が苦手な人が多いのには、もっと根本的な原因があるのではないかと考えているのです。ご多分に漏れず、私自身も英語の勉強を志したことは何度かありましたが、ことごとく挫折してきました。では、なぜ英語ができるようにならないのか、なぜ英語の勉強に対するモチベーションがいまいち上がらず、なぜ挫折しやすいのかということについて考えてみたのですが、その結果は極めて単純なものでした。


その理由というのは、日本に住んでいる日本人があえて英語を学ばなければならない理由は何もない、ということです。


つまり、日常生活において英語を使う必要性はほとんどないというただそれだけの話です。日本国内においては、普段、日常的に英語を使うわけではないのですから、少々英語を勉強してみたところで、英語を読む・聞くというインプットの量が圧倒的に不足します。同様に、英語を話す・書くというアウトプットの量も全然足りません。その上、実際に外国人を相手に英語を使うこともほとんどありません。英語で手紙を書くこともなければ、ごく初歩レベルの簡単な英会話のフレーズですら実戦レベルで実際に使う機会がないのですから、英語ができるようになるはずがないのです。

仮に、日本においても日常生活において日本語が一切通じず、英語でしかコミュニケーションがとれないということになれば、老若男女を問わず、どんな人でもある程度までは英語ができるようになると思います。さもなくば生活していくことができなくなるのですから、たとえ片言であっても、積極的に英語で意思疎通を図ろうとするはずです。同時に、聞く・書く・読むという分野も必死で勉強することになるでしょう。でも現実にはそんなことは全くありません。もちろん、仕事で英語を日常的に使う必要のある人は別ですが、それはおそらく日本人全体のごく一部だけだろうと思います。楽天やファーストリテイリングのように、英語を公用語化しようとしている企業もありますが、これはむしろ少数派でしょう。

そもそも、学校教育に問題があるという話にしても、いささか言い訳じみているように思えます。本屋さんに行けば、英語を学ぶ教材や本はいくらでも売っていますし、インターネットに目を向ければ、英語で書かれたWebサイトの方が、日本語で書かれたものよりも圧倒的に多いのですから、本気で学ぶ気があれば、学校教育に頼らずとも、自分自身の納得のいく方法でいくらでも勉強できるはずです。その上、インターネット上には無料で利用可能な各種辞書の類も整備されています。英語の学習環境は十分すぎるほどに整っているのです。

しかし、今の日本の現状を考えると、どう考えても日本語だけで十分です。仕事でどうしても英語を使う必要があるという、よほど切迫した事情のある人を除けば、英語なんてできなくても何の問題もありません。実生活において英語が必要ないという人にとっては、仮にいくら勉強をして、英語ができるようになったところでそれが評価されることもありません。単なる趣味や自己満足の世界です。

私自身は、英語には何度も挫折したと言いながらも、洋書を読むこともありますし、インターネットで海外のサイトを読むこともあります(ただし、自分の英語レベルの都合上、平易で読みやすいものに限る、というのが前提ですので、自ずと限定されるのも事実なのですが・・・)。でもそれはすべてプライベートの話であって、仕事上どうしても英語が必要ということは全くありません。そしておそらくはこれからも英語は必要ないでしょう。「これからは英語力が求められる時代だ」というフレーズはもう何十年も前から言われ続けてきました。でも、その多くは英会話教材を売ろうとする業者に利用されてきただけで、日本人全体の実用レベルでの英語力が上がったとはとても思えませんし、グローバル化の進む今の時代でさえも、あえて英語を身につけなければならない必要性も感じません。私だけではなく、多くの人にとってこれが現実ではないかと思います。

あえて言うなら、たとえ今すぐに英語を使う必要性がないとしても、一般教養として英語を身につけておいた方がいいとは思います。これからの日本の状況変化次第では、何らかの形で役立つこともあるかもしれません。でも、せいぜいその程度のことだと思うのです。世間では「英語力は必須だ」みたいに言われるのですが、日本国内で生活している限り、それほどたいした必要性がないからこそ、英語力が身につかない根本原因だというのが私の出した結論です。

もっとも、私の方も、仕事上では全く必要ないとはいえ、プライベートにおいてはやはり英語がある程度できないと不便に感じることがあるのも事実ですので、これからも挑戦と挫折を繰り返しつつも、英語の勉強をしたいとは思っています。先ほども書いたように、英語を学ぶ環境は十分過ぎるほど整っています。たとえ挫折を繰り返しながらでも、わずかでも英語力を向上することができればそれに越したことはありません。そして何よりも、自己投資という観点から見て、英語ほど実用的で、なおかつスキルとしての価値が高いものはほかにちょっと見当たらないからです。

もっとも、英語ができるということと、仕事ができることとはまた別の話だというのも確かなことではあります。英語を勉強する際に、ただ単に「英語ができるようになりたい」というのではなく、英語で何ができるようになりたいのか、ということが明確でなければならないと思います。言葉というのは、しょせん単なる道具に過ぎないのですから。



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二流の詐欺師と超一流の詐欺師の違いについて考えてみた
私は、詐欺師というのは、大きく分けて3つのランクに分かれると思っています。今回はそのお話。私の独断と偏見によって分類したその3つのランクというのは以下の通り。



1.二流の詐欺師

人からお金を騙し取ろうとするが、完全犯罪にまでは至らず、最後には警察に捕まってしまう。詐欺師としてはあまり有能とはいえない、ごく一般的な詐欺師で、新聞やニュースを賑わせるのはこのタイプ。



2.一流の詐欺師

カモからお金を騙し取るが、法的に有効な書類を整え、完全に合法的にお金を奪い取ってしまう。このタイプの詐欺師は、「法律というものは、弱い者の味方をするのではなく、法律を知っている者の味方をする」ということをよく心得ていて、言葉巧みに書類に署名・捺印をさせようとする。カモが騙されたことに気づいて、法的に相手を訴えようとしても、法律上はきちんとした契約が成り立っているので、騙されたことを証明することが困難で、結果的に被害者は泣き寝入りせざるを得なくなることが多い。法的知識を活用して合法的に金を奪うが故に、事件として取り扱われることがないので、新聞やニュースで個々の事例が取りあげられることは少ない。



3.超一流の詐欺師

これは実際には詐欺には該当しない、合法的なビジネスである。占い、宗教、お守り、開運グッズ、医学的・科学的根拠のないサプリメントや健康食品、疑似科学(エセ科学)を利用した健康グッズなどがこれに該当する。このタイプのビジネスは大事業にまで発展することがあり、しばしばブームを巻き起こし、カモである”信者”からお金を奪いとる。カモは騙されていることにすら気づかず、むしろすばらしい商品やサービスを売ってくれることに対して感謝するほどである(もっとも、全員が綺麗に騙されてくれるわけではないので、時としてトラブルに発展することもあるが、それは些細な問題に過ぎない)。結果的にカモはひたすらお金を払い続けることになる。このタイプのビジネスを手がける人たちは、人間は理屈ではなく感情で動くということをよく知っていて、その性質をうまく利用する。これらのビジネスに共通するのは、科学的には全く実証されていない、何の根拠のないものを売りつけていることである。




さて、この3つの詐欺師のうち、ある意味で一番強烈なのが、3番目のタイプ。本来ならば、これを詐欺と呼ぶのは妥当ではありません。それは明らかに合法的なビジネスです。しかし、科学的根拠のないものを売りつけているという点で、詐欺と似たようなものだと思っています。私は、こうしたビジネスを展開している人たちを”究極の詐欺師”と呼んでいます。彼らは実体のない幻想を売っているのです。
しょせん人は完全に合理的にはなりきれないので、科学的根拠はないとわかっていても人は騙されてしまうものなのでしょう。あるいは溺れる者は藁をもつかむということで、「科学的根拠はなくても何かしら効果があるはずだ」と信じたいものなのか・・・。

どうでもいいのですが、この記事を書いていて、「儲かるという漢字は信者と書く」という話を思い出しました。漢字ってよくできてるのね・・・。


電子書籍端末のSony Readerを買ってみた(3)
今回も電子書籍端末ネタです。過去の記事はこちら。

電子書籍端末のSony Readerを買ってみた

電子書籍端末のSony Readerを買ってみた(2)


私がSony Readerを購入してから一ヶ月以上が経過しました。この電子書籍端末は、もともとほぼ衝動買いに近い形で購入したものですが、表示画面の見やすさ、使い勝手の良さ、持ち運びやすさから、もはやこれなくしては読書ライフは成り立たないといっても言い過ぎではないほどに気に入っています。

最近はまっているのが、ネット上で公開されているフリーの小説を探して読むことです。今読んでいるのは「小説を読もう!」というサイトに掲載されている、堀井 俊貴著「王佐の才」という歴史小説。「王佐の才」の作品ページ及び「小説を読もう!」のトップページへのリンクを貼っておきます。


王佐の才

小説を読もう!


この「王佐の才」という小説、たまたまネットで検索していて見つけたのですが、これが非常に面白い!長編小説なので、まだ一部しか読めていないのですが、とてもアマチュア作家とは思えないレベルの高さに驚きました。もはや完全なプロ級です。こういう作品を見つけることがあるから、インターネットは面白い!ネット上には凄い才能を持った人たちの作品があることを実感します。

また、この小説が掲載されている「小説を読もう!」というサイトなのですが、各作品の一番上に「縦書きで読む[PDF]」というメニューがあり、縦書きPDFを作成しダウンロードできます。これが非常に便利!

なお、作成されるPDFファイルは横長サイズなので、これをSony Readerで読む際には、Sony Readerの[OPTIONS]ボタンから[画面の回転]を選んで横向き表示にした上で、[サイズ]ボタンから[ページモード]-[余白カット]の設定にすればちょうどいいサイズで表示できます。それから、作成されたPDFファイルは、そのままだとSony Reader上で、作品タイトルがきちんと表示されないので、PDF InfoMakerなどのソフトを使って、PDFファイルのタイトル情報の変更を推奨します。


それにしても、この一括ダウンロード&PDFファイル作成機能というのは一般のブログにも欲しいところです。それができれば、著名ブログの過去ログを電子書籍端末でまとめて読むことがより一層楽になるのですが・・・。


それはさておき、Sony Readerを買ってからずっと気になっているのが、果たしてこのSony Readerはどのくらい売れているのだろうか?ということ。発売からほぼ2ヶ月経過していますが、販売台数が発表されていないのでけっこう気になっています。何しろ、電子書籍端末といえば、過去にことごとく失敗してきたという黒歴史があるので、今回はどうなるのだろうかと少し懸念しているのです。有料コンテンツがしょぼいのは相変わらずですが、今は以前とは違い、いわゆる自炊派が多くいると思われるので、今度こそ、電子書籍端末が普及することを期待したいところではあります。発売当初から品切れの店が目立っていたので、けっこう売れているのではないかと思うのですが、果たしてどうなのか・・・?
また、他にも気になっているのが、ライバル商品であるシャープのメディアタブレットのGalapagos(ガラパゴス)の売れ行き状況。これも販売台数がまだ公表されていないようなのでよくわからない・・・。


それから、電子書籍端末を使うようになってから、本というものに対する認識がいささか変わりつつあります。私は、もともとできるだけ本を買わないようにしているのですが、それはお金の節約というよりもむしろ、本の保管スペースの確保の問題の方が圧倒的に大きいのです。紙の本というのはどうしてもかさばるので、自宅での保管がけっこう大変です。本好きであるがゆえに、読む本の冊数が半端なく多いのでなおさら。読み終わったら売ればよいという考え方もありますが、読書家としては、せっかくお金を出して買った本を読み終わったからといってすぐに売ってしまうのにも抵抗があります。しかし、電子書籍の形であれば、本の保管スペースを気にする必要はなくなります。もし、電子書籍という形態が一般的になれば、私も再び本を買うようになるかもしれません。その意味で、有料の電子書籍コンテンツの充実に期待しています。とはいえ、これは様々な利権が絡む話であり、そう簡単にはいかないでしょうから、なかなか難しそうです。当面の間は、これまで通り、ネット上のコンテンツを読むための専用読書端末として使うことになることでしょう。ネット上の優れた書き手による作品を発掘して読むのもまた、電子書籍の楽しみ方の一つですから。





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絶対に背水の陣を敷いてはならない(2)
以前の記事の続編です。過去の記事はこちら。

絶対に背水の陣を敷いてはならない


背水の陣という言葉には、非常に奥深い意味があります。それを知るために、背水の陣の言葉のもととなった、井ケイの戦いをWikipedeaで調べてみましょう。


井ケイの戦い(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

-------------引用開始-------------------------------

現在でも「背水の陣」は、退路を断ち(或いは絶たれ)決死の覚悟を持って事にあたるという意味の故事成語となっているが、韓信はそれだけでなくわざと自軍を侮らせて敵軍を城の外へ誘い出し(調虎離山)、背水の陣で負けない一方、空にさせた城を落として最終的に勝つための方策も行っているのである。

城塞に篭った場合、兵力が少なくても突破されないし、瞬時の相対する兵力は互角以上である。これに城壁の優位性と兵の死力が加われば、兵力差が絶大でも相当戦うことが出来る。しかし相手が自軍の事を侮らず普通に攻め続ければ流石にいつか落ちるから、相手が嫌気して引き返すことも当初から意中にあったのであろう。

これが単なる賭けではない点は、事前に間者を多く放ち情報収集していている所にも見ることが出来る。韓信が稀代の名将と言われる所以である。

-------------引用終了-------------------------------


ここで注目すべき点がいくつかあります。


*事前に間者を多く放ち情報収集していている
*川を背にすることで、敵に「兵法の初歩も知らない」と思わせ、油断を誘っている
*自軍を侮らせて敵軍を城の外へ誘い出し、別働隊で空にさせた城を落としている
*背水の陣を敷くことで、自軍の士気を高めることに成功している


こうしたことを見ると、背水の陣というのは追い詰められて苦し紛れにとったのではなく、あくまでも自軍を勝利に導くための作戦として行われたということがわかります。ということは、辞書にあるような「一歩もひけないような絶体絶命の状況の中で、全力を尽くすことのたとえ」(デジタル大辞泉より引用)という意味とはいささか異なります。

我々も、日常生活や会社などで危機に陥ったとき、背水の陣という言葉を使うことがあります。そのときに注意すべきなのは、背水の陣という戦略あるいは戦術が、勝つための方策の一環として行われているかどうかということです。勝つための具体策もなしに背水の陣を敷くというのでは、単なる博打に過ぎず、高い確率で失敗します。具体的な状況打開策がなければ、本当の意味での背水の陣とは言えないのです。

また、背水の陣の目的の一つは士気の向上ですが、背水の陣を敷いたからといって、必ず士気が向上するとは限りません。窮鼠猫を噛むということわざがありますが、追い詰められたネズミが猫を噛むとは限りません。むしろ、逆に士気を喪失してしまうということも大いにあり得ます。会社などの組織で背水の陣を敷こうとした場合、指揮官であるリーダーの人の心を動かす才能が問われるのです。部下の士気を向上させる力量を持たないリーダーではどうにもなりません。

こうしたことを考えてくると、背水の陣というのは、非常に高度な戦略(あるいは戦術)ということになりそうです。そうすると、ますます安易に背水の陣を敷くべきではないということが正しさを増してきます。これを使いこなすのは非常に難しいということです。

私は、背水の陣を使う人間には2種類しかいないと思っています。一つは高度な戦略・戦術の立案能力があり、なおかつそれを実行できる天才的な才能を持つ人。そしてもう一つは、何の具体的な方策もなく、苦し紛れに安易に背水の陣を敷こうとするただの無能です。背水の陣というのは勝つための算段があってこそ成り立つものであって、単なる精神論ではないのです。



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