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Author:masa
1972年生まれの某中小企業勤務の独身男性サラリーマン。貧乏人からお金持ちを目指して奮闘中。貯金は手堅く、投資はリスクを小さく、というのがモットー。
なお、当ブログの更新は原則として不定期です(月に数回程度の更新になると思います)。

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貯金生活。投資生活。
「節約なくして貯金なし」「貯金なくして投資なし」を座右の銘とする管理人がお金と社会について語るブログ
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投資の知識は、お金を殖やすためではなく、お金を減らさないために役に立つ
「お金を持っている人」というと、「有利な金融商品についてよく知っている」とか「投資について詳しい」というようなイメージを抱きがちだと思います。しかし私が思うに、どう考えてもお金を貯めるのに投資や金融の知識は不要です。極めてシンプルに考えると、お金を貯めるのに必要なものは以下のようなものだと思います。


*ある程度の収入があること。当然、収入が多ければ多いほど有利。
*無駄な支出を抑制する節約の習慣があること。
*お金を貯める習慣があること。


せいぜいこの程度で十分です。ここに、金融の知識や投資の知識が入り込む余地はありません。それどころか、中途半端な投資の知識はむしろ有害であると言っても過言ではありません。実際、中途半端に投資の知識を得てしまったがために、投資で大損をしてしまう人というのはいくらでもいます。投資を学び始めたばかりの人というのは、投資をすれば簡単にお金が殖えると考えがちですが、現実はそう甘くありません。もっとも、そんな思い込みをするのも、リスクを軽視し、リターンばかりを強調するという妙なバイアスのかかったマネー雑誌やマネー本の影響による部分が大きいと思われるので仕方がないのかもしれません。しかし、投資や金融について初心者から脱却してもう少し深く学ぶようになると、投資でお金を殖やすということがそんなに簡単なものではないことがわかってきます。

私は、投資や金融について学ぶ意義は、お金を貯めたり殖やすために役立つというよりはむしろ、大切なお金を減らさないために役立つというところにあるのではないかと考えています。

そもそも根本的な話として、投資や金融について詳しくなれば有利にお金を殖やすことができるようになるかというと、残念ながらそんなことは全くありません。私の実感としては、投資について学べば学ぶほど、投資でお金を殖やすことがいかに難しいかということがわかるとともに、投資家というものがいかに不利な立場にあり、逆に金融商品を売っている側がいかに有利であるかということを思い知らされる結果となったというのが本音です。

私が様々な投資関連本を読んでいく中で学んだもっとも大きなことは、安全・確実にお金を殖やす方法など存在しないということです。考えてみれば当たり前のことですが、私も、このことを本当の意味で理解できるようになるまではけっこうな時間を要しました。

そんなわけで、残念ながら、お金を貯めたり殖やしたりするのに、投資や金融の知識はそれほど役には立たないというのが私の実感です。しかしながら、いかにもお得であるかのように見せかけた金融商品の広告を読むときには、投資の知識は非常に役立ちます。投資詐欺の類を見抜くときも同様です。

お金というものは、殖やすことよりもむしろ、いかに減らさないようにするかということの方がよほど重要です。お金を貯めたり殖やしたりするのは容易ではありませんが、お金を減らすのは実に簡単です。たとえ、何十年もかけて築き上げた資産であっても、たった一度の投資判断ミスでその全てを失うことだってあるのです。その意味では、投資や金融の知識というのは、大切なお金を守るという部分においてこそ有効に生かすべきだと言えるでしょう。



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「東電株は安定運用先」という投資家の思い込みが政策に影響を与えるのはおかしい
先日見かけたダイヤモンドオンラインの記事の中に、気になる一文がありました。


“被災者救済策”の政府原案判明 「9電力共同出資機構」で調整(ダイヤモンド・オンライン)

-------------引用開始-------------------------------

 東電の株主責任の追及が必要だという指摘に対しては、「東電の株主は約100万人で、その多くが銀行預金と同様の安全運用先として東電株を保有していた個人株主であることを重視せざるをえない」(官邸幹部)という判断に、政府は傾いている。

-------------引用終了-------------------------------


私が疑問に感じたのはこの部分です。私にはこの文章の意味がよくわかりませんでした。言うまでもなく、株式会社というのは株主のものです。そうであるならば、株主が責任を負うのは当然のはずです。もし本当に株主責任を追及しないということになれば、それはすなわち、会社のオーナーの責任を追及しないということと同義です。これはよくわからない話です。

根本的によくわからないのが、株主の多くが銀行預金と同様の安全運用先として東電株を保有していた個人株主であることを重視せざるをえないという話。これは全くもって意味不明です。
そもそも、投資においては絶対に安全な投資先など存在しません。個人投資家が東電株に対して定期預金と同様の安定運用先だと思い込むのは個人の勝手です。しかし、投資家がそういう誤った思い込みをしていたからといって、そのことが政策を決定する際に重視されるというのはどう考えても筋が通りません。投資家なら誰もが知るように、投資というのはリスクがあることを承知の上で自己責任で行うものです。こういう間違った投資家保護というのはすべきではないと思います。たとえ100%の減資になったとしても、そうしたリスクを背負うのが投資家というものです。リスクをとりたくないのであれば、最初から投資などすべきではないのです。

もちろん、東電株の問題は個人投資家だけの問題にとどまりません。東電の株主責任を追及するということになれば、東電株を保有している企業などにとっても大ダメージになるでしょう。

しかし、たとえそうであったとしても、それでもなお東京電力の株主責任はきっちりと追求するのが妥当ではないかと思います。





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原子力発電所のリスク認知を心理学の観点から考えてみる
東京電力による原発事故が起きて以来、一億総原発評論家状態と化している感があります。そこで、私もそれに便乗して記事を書いてみたいと思います。今回は、原子力発電所のリスク認知を巡る問題を心理学的視点から考えてみます。仁平義明編「防災の心理学」(東信堂)より引用します。



「防災の心理学」p.52より引用
-------------引用開始-------------------------------

原子力施設が自分の居住する近所に建設されるとした場合、平常時であっても多くの市民が想像し危惧するのは、やはりチェルノブイリ事故に類する大事故であろう。「安全だといくら説明されても万一事故が起こったときのことを考えると恐ろしくて安心できない。」という感覚の持ち主が大多数であるように思われる。

村上陽一郎氏は著書「安全学」(村上 1999)の中で:
『仮にわれわれの生活を支える(したがって利便性や快適性から来る必要性という意味では、自動車よりはるかに基礎的かつ根本的である)電気を生み出す施設である原子力発電所の事故で一人の死者が出た場合に、予想されるだろう社会の反応を考えてみると、われわれはどのような論理で自動車による年間一万人という死者を容認しているのか、実ははっきりしなくなる』
と指摘している。

(中略)

専門家と市民のリスク認知が大きな差異を示していることを示した研究例は多く知られている。原子力発電所のリスクを専門家はそれほど高くは評価しないが、一般の市民はきわめて高く評価する傾向があることは米国の先行研究(slovic 1987)などでもよく知られている。そしてその解釈として、自発的リスクと非自発的リスクの受容の差異、未知性と恐ろしさ要因の影響の大きさなども広く知られている。

-------引用終了-------------------------------



本文は、このあともまだまだ何ページにもわたって続きますが、今回は、この部分のみに注目して記事を書いていきたいと思います。

単純に考えると、原子力発電所が事故で一人の死者を出すことを許容しないのであれば、自動車事故で多くの死者が出るリスクも許容できないと考えるのが普通の理屈です。しかし、現実にはそうはなっていません。私の知る限り、「自動車事故で多くの死亡事故が起きているのだから、自動車の製造そのものを禁止すべきだ」ということを主張する人は誰もいません。考えてみると、これはなんとも奇妙な話です。また、リスク評価が専門家と一般市民とで大きく異なるというのも興味深い話です。
これに対する解釈として、「自発的リスクと非自発的リスクの受容の差異、未知性と恐ろしさ要因の影響の大きさ」が挙げられています。どうやら、自動車の運転のように、自発的にリスクをとっているときには、それほどのリスクを感じないようです。また、原子力事故という言葉の持つ恐ろしいイメージにより、それだけ大きくリスクを評価してしまうということなのでしょう。

あるいは、投資家的な発想で考えるならば、自動車事故リスクよりも、自動車を使うことによって得られる利益の方が大きいがために、我々は自動車事故というリスクを許容しているのかもしれません。そうであれば、合理性という観点で考えれば、滅多に事故を起こさないと考えられる(ただし、事故を起こすリスクをゼロにはできない)原子力発電所もまた、得られる利益の大きさを考えるならば、そのリスクを許容すべきだという理屈が成り立つはずです。しかし、どうやら、人間というのはそれほど単純に物事を割り切ることができないようです。ここにも何らかの心理的バイアスが働いていると考えて間違いなさそうです。

このリスク認知の話については、以下のサイトが参考になります。長文につき、一部のみ引用しますが、全文必読の内容です。


市民のリスク認知 Public risk perception

-------------引用開始-------------------------------

2 市民のリスク認知を支える情報処理過程

 1.リスク同定:リスク認知の出発点は,リスクの存在に気づくことである。市民のリスク認知は,あらかじめ知識や経験がある時は,敏感であるが,経験がない場合は,楽観的であり,鈍感である。マスメディアの報道頻度と内容の影響も大きい。

 2.リスクイメージの形成:市民はリスク事象の存在を認知したうえで,そのイメージを形成する。ここではマスメディアの影響が大きい。Slovic (1987)は2つのイメージの次元をあげている。
 第一の次元は,重大性のイメージである。リスクが制御できず,多くの人が被害に遭い,破局的な事態を導く場合は,恐怖を引き起こす。たとえば,原発事故がその典型である。
 第二の次元は,そのリスクが新しいリスクで,発生原因や被害が未知であるというイメージである。その場合は,行政への規制強化の要求が大きくなる。たとえば,バイオ技術がその典型である。

(中略)

 4.リスク評価:市民は,リスクを受け入れられるかどうかで評価する。リスクの受け入れに関わる要因にはつぎのものがある。リスクが大きな便益をもたらす場合は,受け入れられやすい(たとえば,自動車運転のリスク)。また,個人が自発的にとるリスクは受け入れられやすい(たとえば,登山者や喫煙者にとってのリスク)(Starr,1969)。一方,不安や恐怖が強い場合には,市民はそのリスクを受け入れられない。

 市民が受け入れるリスクの水準は,きわめて低いことがある。たとえば,健康や生命に関するリスクには敏感であり,事故,手術,副作用などのゼロリスクを求めることがある。

 すなわち,市民は,きわめて低い確率であっても被害が重大なリスクは,受け入れられない。被害の重大さで判断するためである。一方,専門家や行政機関は結果の期待値で判断するため,確率が低ければ,リスクが小さいものとして認知する.

-------------引用終了-------------------------------


これはなかなか面白い話です。自動車運転リスクは、現実には死亡などのリスクは極めて高いにもかかわらず、それを受け入れられるのに、事故や手術、副作用などについてはゼロリスクを求めようとする傾向にあるようです。この理屈を当てはめるなら、原発に対してもゼロリスクを求めようとするのも納得できます。

しかし現実には、いかなる物事でも同じですが、リスクをゼロにすることはまず無理です。100%の安全を確保しろとか、絶対に事故を起こすなとかいうけれど、そもそもこの世の中に、「絶対に事故やトラブルを起こさないゼロリスクで安全」というのは単なる幻想に過ぎず、実現不可能です。投資に当てはめて考えるならば、それはちょうど絶対に安全な投資先やノーリスク・ハイリターンな金融商品が存在しないのと同じことで、どんなものにも必ず一定のリスクはあるものです。様々な対策を施すことによりリスクを抑えることはできても、リスクをゼロにすることはできません。根本的な話として、我々は普段から様々なリスクにさらされて生きているのです。ただ、普段はリスクの存在を意識していないに過ぎません。

また、上記リンク先でもう一つ興味深いと思ったのは、市民と専門家のリスク認知の違いです。専門家は結果の期待値で判断するため、確率が低ければリスクが小さいと認知するとのことですが、これは一般市民の感覚とは異なります。このことが一般市民と専門家とのリスク認識のズレにつながっているということなのでしょう。

それはさておき、今回の事故によって、原発は恐ろしくて危険な施設であるという認識が、あらためて人々の心の中に完全に植え付けられてしまったのは間違いありません。しかし、そこにはある種の心理的バイアスが働いているのも確かだと思います。今回、原発関連のニュースを見ていて、海外を含め原発事故現場から遠く離れた地域にいる人々までが大騒ぎしていることにある種の違和感を感じることがあったのですが、こうした資料を読んで、その原因がようやくにしてわかった気がしました。

最後に念のために書いておくと、今回の記事は原発の是非を書いたものではありません。記事の趣旨は、リスクをゼロにはできないということと、人のリスク認知には様々なバイアスがあるということです。原発推進派は原発の安全性を過剰に評価する傾向にありますし、反対派は逆にヒステリックなまでに原発の危険性を過剰に喧伝しようとする傾向にあります。一概にどちらが正しいとは言い切れないと思います。大事なのは、心理的バイアスがあるということを知った上で、様々な意見を冷静に評価することです。


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防災の心理学について知っておこう
以前の記事の続編です。前回の記事はこちら。

集団同調性バイアスと正常性バイアスについて知っておこう

今回の記事の元ネタは、仁平義明編「防災の心理学」(東信堂)です。この本から、興味深いと思った部分を引用しつつ、コメントを書いていきます。



「防災の心理学」p.7より引用
-------------引用開始-------------------------------

 他の人には災害や事故が起こるかもしれないけれど、自分が実際に被害にあう確率は低いと考える傾向は、「楽観バイアス」と呼ばれている。「非現実的な楽観主義」、少しかたい表現では「相対的な不被災観」ともいわれる。
アメリカで竜巻による大被害を受けた町の住民の研究でも、楽観バイアスがみられている。あやうく被害にあうところだったが結果的にほとんど被害を受けていなかった住民では、それでもなお30%程度が自分は他の人よりも被害にあう確率が低いだろうという「楽観バイアス」を持ち続けていた。

-------------引用終了-------------------------------



この楽観バイアスというのは興味深い話です。考えてみると、阪神淡路大震災を経験した私自身もこの楽観バイアスを持っていることに気づかされます。私が楽観バイアスを持っている理由を自分で分析してみると、「前回の地震で生き残れたから」というものですが、当然のことながら、次に震災が起きたときに無事でいられるという保証はどこにもありません。つくづく、人の心というのは自分の都合のいいように考えるものだと我ながらあきれかえります。人間というのは、「他人はともかく、自分だけは大丈夫」だと思い込みたがるものなのでしょう。この楽観バイアスは、結果的に防災に対する意識の低下を招いたり、いざ災害に直面したときに適切な判断ができなくなるという事態を引き起こしかねないので、注意する必要がありそうです。



「防災の心理学」p.174より引用
-------------引用開始-------------------------------

<神話1>火災報知器が鳴れば、人はすぐに避難する。
<事実1>火災報知器が鳴っても、人はすぐに避難行動を開始しないで、次の情報を待つ。

(中略)

<神話2>人は災害時には、「出口」を探してそこから出ようとする。
<事実2>たいていの人は、「自分が入ったところから」出ようとする。

(中略)

<神話3>人は濃い煙を見たら、引き返そうとする。
<事実3>たいていの人は煙を見ても、そこを通って進もうとする。

-------------引用終了-------------------------------



上記の引用文は、「人は火災のときどんな避難行動をとるか」ということについて、避難行動について当然のように考えられてきた思い込み(神話)と、実際の行動(事実)について書かれたものです。
神話と事実を比較してみると、人間というものがいざというときに適切な行動をとれないということがよくわかります。<事実1>については、前回の記事にも私の経験談として書きました。恐らく大抵の人が、「本当に火事なのかどうか」という情報が来るまで、何の具体的行動もとらないだろうと思います。

<事実2>の「たいていの人は、『自分が入ったところ』から出ようとする」というのも、興味深い話です。そもそも、「自分が入ってきたところ」が適切な避難経路なのかどうかはわかりません。多くの人を収容する施設では、非常口があちこちに設置されているのが普通ですが、人は自分の入ってきた入り口以外には注目しないようです。

<事実3>の「たいていの人は煙を見ても、そこを通って進もうとする」というのは、一見すると信じがたい話ですが、どうやらこれが人のとる典型的な行動のようです。これは恐らく、どの避難経路が正しいのか判断がつかないことに加え、せっかく通ってきた来た道を戻ってしまうと、その分、脱出までの時間をロスしてしまうからではないかと思います。

この本からもう少しだけ引用します。



「防災の心理学」p.175より引用
-------------引用開始-------------------------------

われわれは「非常口」のあの緑色をした「人が駆けだしていく」独特のピクトグラムは見慣れているが、その先がどうなっているのか見たことはほとんどない。まったく未知の道に向かって逃げようとはしたくない。

-------------引用終了-------------------------------



どうやら、「非常口」と書かれた扉の先がどうなっているか見たことがないからそこを通って逃げたくない、という心理が働くようです。

ここから我々が学ぶべき点があるとすれば、普段、建物に入ったときに、どこに非常口があるのか、その場所をきっちりと確認する癖をつけることだと思います。百貨店等の大規模な商業ビルでは、非常口の場所を示すフロアマップがあるのが普通ですが、それをきちんと確認したことのない人が大半だと思います。

それにしても、つくづく思うのは、「人は非常時でさえも合理的に行動できないものだ」ということです。投資家であれば、投資家心理についてはよく知っていると思いますが、お金よりも大切な命を守るために、こうした防災の心理学についてもよく勉強しておく必要があります。防災というのは普段は意識しない、非常に地味なテーマです。しかし、普段の防災意識こそが自分の命を守ることにつながるということを考えれば、これほど重要なテーマは他にないといえるでしょう。



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