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Author:masa
1972年生まれの某中小企業勤務の独身男性サラリーマン。貧乏人からお金持ちを目指して奮闘中。貯金は手堅く、投資はリスクを小さく、というのがモットー。
なお、当ブログの更新は原則として不定期です(月に数回程度の更新になると思います)。

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貯金生活。投資生活。
「節約なくして貯金なし」「貯金なくして投資なし」を座右の銘とする管理人がお金と社会について語るブログ
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問題なのは投資に消極的なことではなく、無知な人が投資に積極的過ぎることだ
よく日本人は投資に対して消極的だと言われることがあり、そのことを問題視する向きがありますが、私はそうは思いません。むしろ、投資に対して知識のない人が、あまりにも投資に対して積極的過ぎるのことの方がよほど大きな問題ではないかと思うことがあります。

これは投資系ブログで取りあげられる話題ですが、日本では毎月分配型の投資信託が大人気です。何を買おうがそれは個人の自由意思ではありますが、問題なのは、商品の特性を全く理解しないままに投資している人が多いことです。もうずいぶん前のことですが、、毎月分配型投信における勘違い投資家という話を書いたことがあります。これは、分配金が毎月入ってきているから、その分儲かっているという勘違いをしているという話でしたが、これは今でも何ら変わっていないでしょう。毎月分配型における勘違いに限った話ではありませんが、商品特性を全く理解できていないまま、投資をしている人は大勢いるはずです。

普通、何かものを買うときには、十分に調べてから買うのが普通です。ましてそれがリスクのある投資型の金融商品であれば、普通の商品の何倍も慎重になってしかるべき。にも関わらず、全く知識のないままに投資しているというのは大きな問題です。

投資における大原則の一つに、自分に理解できないものに投資してはならないというものがありますが、このルールを守っていない人はたくさんいるものと推定されます。本来ならば、こういうタイプの人たちは、あまりにも知識不足であり、その意味では決して投資をすべきではないはずなのです。

しかし現実には無知な人が投資をしているという現実があります。そして、日本人投資家全体というレベルで考えると、投資や金融についてよく知っている人よりもむしろ、無知な人の方がはるかに多いのではないだろうかと思うことすらあります。もしかしたら、無知であるがゆえに、そしてリスクや商品特性を知らないがゆえに、積極的に投資をしているのかもしれません。

ゆえに私は思うのです。問題の本質は投資に対して消極であることではなく、無知な人が投資に積極的過ぎることではないのだろうか、と。もし日本人の大半が投資や金融の知識を十分に持っていないものと仮定すると、本来ならばこうした無知な人たちは投資家としては不適格なはずです。そうであれば、日本人全体としてはもっともっと投資に対して消極的であってしかるべきではないかと思います。投資をすべきではないはずの無知な人たちが無邪気にも投資を実践していることはなんとも奇妙に思えてなりません。

考えようによっては、自分の無知さをよく自覚しているがゆえに投資をしようとしない人たちの方が、むしろ金融リテラシーが高いとすら言えるかもしれません。



関連記事:
問題なのは、投資に消極的なことではなく、リスクに対する考え方がおかしいことだ



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「カイジ」の名言
私の好きなマンガの一つに「賭博黙示録カイジ」というのがあります。この作品は「賭博破戒録カイジ」、「賭博堕天録カイジ」「賭博堕天録カイジ 和也編」と続いていますが、今回は、この中に登場する悪役たちの台詞の中から、お気に入りの名言を紹介します。

とりあえずは、カイジの名言集を集めたサイトへのリンクをいくつか貼っておきます。もし興味があれば、Googleで「カイジ 名言」で検索すればいくらでも出てきます。



心に刻め!!カイジの名言集 - NAVER まとめ

カイジ(福本伸行)名言集 - lino




「借金における誠意なんて、これはもう誰が考えたって一つしかないのだ…内臓を売ろうと、強盗をしでかそうと…何をしてもいいから、要するに…期限までに金を返すことだっ…!」(兵藤和尊)

これは登場人物の一人である、消費者金融を主体とするコンツェルンの帝愛グループ総帥の兵藤和尊の言葉。悪役ではあるものの、けだし名言ではあります。借金における誠意とはすなわちお金を期日までに返すことであり、それ以外に誠意と呼べるものなど存在しません。お金を返さない=誠意がないというシンプルな話。あらかじめ決められた期限に金を返さない人間なんて、人間的にも信用されないし、嘘つきのクズと言われても仕方がない。




「よく戦ったからじゃない…彼らは勝った、ゆえに今、そのすべて…人格まで肯定されている…!」(利根川幸雄)

帝愛グループの最高幹部の一人 利根川幸雄のセリフ。これはどんな世界でも同じでしょうけど、努力そのものに対して高い評価がされることはまずありません。結果こそが全て。結果的に勝ちさえすれば、当人の人格、勝利へのプロセス、本人の語る言葉の一言一言に至るまで全ては肯定される。勝てば官軍。逆に勝負に負けた人間は、敗北者としての烙印を押されるのみ。




「この世で本当に欲しい物や席を手に入れようとしたら結局これはもう金しかない・・・・・・・・・!」

これも名言。もし、欲しいものを手に入れようとするならば、金を積むのが一番手っ取り早い。金の力は実に偉大。お金がなくても幸せになれるというのはお金の力を知らない人の言う戯れ言に過ぎない。




「この世に暴利なんてものはない........。たとえどんな金利であろうとそれこそ3日、あるいは1日で1割であろうと暴利ではないっ。わしは貸し付ける前にその金利について包み隠さずすべて話しているのだ......借りる側はその金利について充分承知の上借りていっている。なんの問題があろう、充分民主的ではないか。それより、暴力的、無謀なのはむしろ借り主............連中はわしとの約束、契約を一方的に反故にしただ頭を下げてくるのだ。そしてずる賢いことにこうして頭を下げることが今できる私精一杯の誠意でさらに、どうしてこれほど謝っているのにこいつは許してくれないのかなどと心中こちらを非難....冷血漢呼ばわりしてくるのだ..........!ひどい話だと思わないか。当然そんな連中の詫びに誠意があるはずもない。」(兵藤和尊)

極めて正論。金利については、借りる方は納得した上で借りているはずなのに、あとになってから平気でけちをつけるというのは珍しい話ではありません。金を借りた方が謝罪の意味で頭を下げるのはタダでできるわけで、そこには何の誠意もありはしません。そして、お金を貸した側が、お金を返してくれと言おうものなら、金の亡者呼ばわりしたりされることすらあります。お金を貸した側にとっては、踏み倒そうとする側こそが金の亡者以外の何物でもないでしょうけどね。




「想像してみろ。いわゆるレールの上を行く男たちの人生を。小学校中学校と常に成績はトップクラス。有名進学校と受験戦争の駒をすすめ、一流大学にはいる。はいって3年もすれば今度は就職戦争。頭を下げ会社から会社を歩き回り、やっと入る一流企業。これが一つのゴールだが、すぐに気がつく。レースがまだまだ終わっていないことを。今度は出世競争。ギャンブルにも酒にも女にも溺れず、仕事を第一に考え、ゲスな上司にへつらい、取引先にはおべっか。毎日律儀に定時に会社へ通い、残業をこなし、ひどいスケジュールの残業をこなし、そんな生活を10年以上続けて、もう若くない。40近い年になってやっと蓄えられる金が1000万、2000万という金なんだ。」(利根川幸雄)


これも的を射た言葉です。エリートになるためには凄まじいまでの努力をし、ひたすら競争に勝っていかなくてはならない。人は限られた寿命の中で、自分の時間を勉強や労働に使うことでより上を目指し、より多くのお金を得ようとします。マンガの中に、「人は金を得るために自分の命を削っている。存在そのものを金に換えているんだ」というセリフがありますが、それはまさしく自分の命を削っていると言えるでしょう。そうして得たお金というのはものすごく重いものです。




とりあげたい言葉はまだまだありますが、書き始めるときりがないので今回はこの辺にて終了。カイジに登場する登場人物たちのセリフというのは身も蓋もないものが多いのですが、それだけに真実を突いていて非常に面白いものがたくさんあります。




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投資というものに対して胡散臭さを感じる理由
私は、投資を実践していてもなお、投資というのは胡散臭いものだというイメージがぬぐい去ることができません。その原因は何だろうと考えてみたのですが、それは一つの要因に集約されます。


それは、証券業界に対する不信感が拭えない、ということです


このことは、私の頭の中では今でも根強く残っています。その最大の理由は、この業界には、顧客軽視という姿勢しか感じられないという点にあります。もちろん、これも知識を身につけることで対応できるのは確かなのですが、そこにある種のむなしさを感じるのも事実です。

実際のところ、投資について学べば学ぶほど、証券業界の騙しの手口が見えてきます。例えば、EB債などの仕組み債、高コストファンド、毎月分配ファンドなど、資産形成には不利な商品を前面に押し出そうとする姿勢に対する疑問が次から次へと湧いてきます。EB債については、山崎元氏が以前にダイヤモンドオンラインで記事を書いておられますので、リンクだけ貼っておきます。


詐欺的商品「EB」の個人向け販売は禁止すべき(山崎元のマルチスコープ|ダイヤモンド・オンライン)


そんなわけで、私自身は投資は胡散臭いものだという感覚を昔からずっと持ち続けてきたわけですが、それでもネット証券が登場してからは、胡散臭さは多少なりとも和らいだのは事実です。営業マンを介することなく、投資をすることが可能になったからです。だからこそ、私も投資というものを始めようと思ったわけです。

しかし、そのネット証券ですら、やはり問題点は多々あるように思います。それを象徴する出来事としては、やはり、ネット証券4社共同プログラム「資産倍増プロジェクト」に対する評価の悪さが挙げられると思います。これは著名ブログでも様々な形で批判を浴びています。

このネット証券4社共同プログラム「資産倍増プロジェクト」の評判の悪さを知ったとき、「ネット証券よ、お前もか・・・」と思いました。そこには、証券業界がいまだに抜け出すことの出来ない顧客軽視という態度しか見えなかったからです。これは、証券業界の本音が出た結果ではないかと思います。新興勢力であるネット証券もまた、証券業界全体に蔓延している(としか思えない)顧客軽視という呪縛から逃れることはできないようです。

投資というものに対する胡散臭さの背景にあるのは、お金でお金を稼ごうとするマネーゲーム的なものに対する胡散臭さというよりはむしろ、証券業界の根底にある顧客不在の自分勝手な営業姿勢にあるのではないかと思います。投資否定派によくある、「投資=損をするのが怖い」というイメージが根強いのも、顧客の資産を殖やすことの手伝いをするというというよりもむしろ、顧客をカモにして、自社の資産を殖やそうという態度しか見えてこないことが最大の要因のように思えてなりません。顧客に不利な商品を平気で売りつけようとする証券業界の姿勢に対する不信感は、これから先もぬぐい去ることはできそうになさそうです。

日本における投資についての問題点として、預貯金ばかりでリスクをとりたがらないことを挙げる人は多いですが、問題の本質はそこではなくて、証券業界の営業姿勢が極めて悪いということだと思います。こんな状況の下では、投資をしないことこそが自分の資産を守ることにつながると考えるのはむしろ当然のことだと言えるかもしれません。



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”心の分散投資”としての心の多様性の重要性
先日、興味深いサイトを見つけました。心の多様性の話です。部分的に引用しますが全文を読むことをお勧めします。


心の多様性はなぜメンタルヘルスに必要?--[ストレスケア.com]


-------------引用開始-------------------------------

 多様な金融商品に投資しておけば、マーケットの環境が変わって、ある保有株の株価が下がったときにも、別の金融商品の価格が上がっていて、損失をカバーできる可能性が高まります。たとえば、円安で株価が上がりやすい会社の株式と、円高で株価が上がりやすい会社の株式を、共に保有していれば、円安にふれても、円安にふれても、どちらかがカバーしてくれるので、リスクを減らすことができます。

 ポートフォリオ(保有金融商品の構成)を多様化させておくと、リスクをヘッジできる可能性が高まるのです。


 同様に、心の中を多様化させておくと、環境が変わったときにも、リスクをうまく吸収して、ショックを和らげられる可能性が高まります。

 たとえば、いろいろなことに興味を持っている人は、一つの分野でつまずいても、そのことだけで過度に落ち込まないで、別の分野のことでカバーできることがあります。

 会社を取り巻く環境が変わって、急にリストラされてしまったときにも、会社の仕事だけに集中していた人は、ショックが大きくなりますが、多様な能力や資格を持っている人は、リストラ危機のショックを多少は和らげることも可能です。社内外に多様な人脈を築いている人なら、まわりの人に助けてもらえるかもしれません。

(中略)

 メンタルヘルス戦略においても、心に多少余裕があるときに、新たなことにチャレンジしたり、趣味を増やしたりして、心を多様化させて、将来の変化に備えておくことが大切です。

 しかし、すでに緊急事態になっているような人、疲れきってエネルギーがなくなっている人は、現時点では多様化戦略をとるべきではありません。

-------------引用終了-------------------------------


心の多様性の話を、金融投資における分散投資の話に例えているのですが、この心の多様性というのは非常に重要だと思います。複数の分野のことに興味を持ち、一つの分野がダメになっても別の分野でカバーできるようにしておくこと。多様な能力を持つことを心がけ、多様な人脈を持つこと。

私が以前に書いた記事、労働市場におけるサラリーマンの市場価値について考えるにおいて、「純粋な職業能力を高めることも重要だが、社外の人的ネットワークを作っておくことが必要だ」と書きましたが、この観点から見ても、心の多様性は非常に重要だと思います。

私がことさら職業能力を高めることを軽視しているというわけではないのですが、一通りの仕事を覚えたあとは、どうしても単純なルーチンワークになりがちなので、ただ単純に必要以上に仕事に力を入れることに疑問を感じているのです。

いくら職業能力を高めてみても、それがルーチンワークである以上、どこかで上限にぶつかります。それ以上はもはや成長できません。時代の変化や技術革新によって、その職業能力自体が事実上無価値になってしまうこともあります。人間のやっていた仕事がIT技術に置き換えられたり、時代の変化とともに衰退し、需要がなくなったりといったことがあり得るのです。


そうした場合に、ただ自分の行っている仕事一筋で能力アップを図っていた場合、精神的なダメージも相当大きなものになると思います。純粋な職業能力に必要以上にこだわるということは、いわば金融投資における集中投資と同じで、リスクも非常に大きいということです。



真に重要なのは、現在やっている仕事の価値ではなくて、変化に適応する能力だと思います。



本業以外の新しい分野のことにも興味を持つ。多様な技能を身につける。多様な趣味を持つ。社外の知り合いを多く持つ。現在は趣味であっても、「好きこそものの上手なれ」という言葉もあるように、それがもしかしたら将来の仕事に応用できるということもあり得ます。仕事上以外でのつながりのある人が、思わぬチャンスをもたらしてくれることもあり得ます。

仕事が趣味で唯一の生き甲斐だというのはある意味で危険です。頭の固い、単なる専門バカになってしまう可能性があります。リストラに遭って、仕事を失ったときの精神的ダメージがあまりにも大きくなりすぎる恐れがあります。定年退職後に生き甲斐を失ってしまうかもしれません。過去に行ってきた自分の仕事に対するこだわりがあまりにも強すぎると、転職した際に新しい環境や仕事に適応できず、新たに求められる能力を身につけることを阻害する一因にもなりかねません。


心の多様性ということが、具体的に何を意味するのかは人によって違うと思います。私にも明確な答えはわかりません。しかし重要なのは、なによりもまずそのことについて考え始めることだと思います。そして、精神的・経済的に余裕のある時期のうちに、心の多様性を確立させるため、自己投資の意味合いとして”心の分散投資”を行っておくべきでしょう。



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投資否定派が投資をしないのは合理的である
投資推奨派に言わせると、投資をしようとしない預金オンリーの投資否定派というのは、金融リテラシーの低い人だと言われがちです。しかし、私は、投資をしない人たちの行動はおおむね合理的だと考えています。そう考える理由は以下の通りです。


1.預金のみでもインフレに対応できたという過去の事実がある以上、あえてリスクのある投資をする必然性がない

言うまでもなく、お金を確実に殖やす方法など存在しません。そうであれば、お金を減らさないことの方がよほど重要になってきます。そして、以前の記事に書いたように、過去数十年のデータを見れば、1年ものの定期預金は、インフレに負けてこなかったという客観的事実があります。つまり、預金のみでお金の実質的価値を減らさずに済んできたわけです。そうであれば、預金派がお金を減らすリスクのある投資をせずに、預金のみでお金を運用しようというのは正しい考え方です。もちろん、これは過去のデータであって、未来がどうなのかはわかりません。しかし、下手な投資は簡単にお金を減らしてしまうということを考えれば、預金というのは極めて堅実な資産運用方法だと言えます。


2.預金派は、「理解できないものには投資してはいけない」という投資のルールを確実に守っている

投資について知識のある人なら誰でも知っているお金の世界のルールとして、「理解できないものには投資してはいけない」というものがあります。預金派は、自分に理解することのできるもの、すなわち預金のみに限定してお金を運用しています。つまり、預金派は投資の大原則をきっちりと守っているのです。



投資推奨派というのは、大体において、金融や投資の知識を学び、投資を実践する人をリテラシーの高い人と認識するようです。しかし、投資否定派でもなければ投資推奨派でもない私の目から見ると、預金派=金融リテラシーが低いという図式は必ずしも成立しないと思えます。むしろ、投資を実践している人の方こそ、実は金融リテラシーが低いのではないかと考えてしまうケースは少なくありません。リターン重視・リスク軽視の投資本はいくらでもあります(むしろ、そうでない本を探す方が難しい)。あるいは自らのリスク許容度を無視した無茶な投資で再起不能な損失を背負ってしまった人たちもたくさんいます。中途半端な投資や金融の知識というのは、かえって大きな弊害をもたらすことがあるのです。投資否定派の人たちというのは、そういう実例をよく知っていて、だからこそ投資に否定的なのかもしれません。そうであれば、投資否定派が投資に消極的なのは、極めて正しい判断だと言えます。「お金を失う最も簡単な方法は安易な投資をすることである」と言っても過言ではありません。ならば、人は投資というものに対して、より慎重であってしかるべきです。インデックス投資は、市場平均に負けない運用を目指しますが、預金によるお金の運用は、インフレに負けない運用を目指すものと言えるでしょう。お金を減らしたくないという守りの観点でみれば、預金というのは最強の資産運用方法だと言えるかもしれません。投資というのは、リスクをとってお金を運用するものなので、リスクをとりたくない、守りに徹したい人が投資をしないのはむしろ当然のことだと言えます。

ちなみに、「預金はインフレに負けてきた」という主張が存在するのも事実です。しかし、たとえそれが正しいとしても、ごく短期間の間に大幅に資産を減らすリスクが高いのは投資の方だと思います。仮に、ゆるやかなインフレで預金の価値が目減りしたとしても、そのリスクは投資リスクの比ではないでしょう。私の知る限り、投資で失敗した人は大勢いても、預金で失敗したという人は聞いたことがありません。そもそも、投資を行っている人にしても、生活防衛資金は預金で確保しているのが普通です。それはとりもなおさず、預金はおおむね安全な資産クラスだと認識されているからだと思います。




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